2016年7月23日土曜日

林恭子さんのインタビューを掲載しました。

横浜と都心で活躍されている元ひきこもり当事者、林恭子さんのインタビュー、大変遅れてしまいましたが、掲載させていただきました。
元々、東京で行われた「ひきこもりUXフェス」後に注目していた横浜の活動家三人の方へのインタビューのラストのおひとりでしたので、UXフェスの二日後、4月18日に行ったものです。随分掲載が遅くなってしまいました。

五月の中旬頃から両親ともに心身の体調が悪くなり、個人的に家族内調整に時間をとられるようになってしまいました。現在もそれは続いてはいるのですが、時期的に6月くらいが一番大変だったので、林さんご自身に校正原稿をお渡しするのがずいぶん遅くなったのは、手前の不手際ゆえです。

インタビューは林さんのいままでのライフヒストリーを網羅した内容で、ひきこもりに関心のあるかたには是非読んでいただきたい、たいへん貴重な内容です。実際、勝山実さんも含めて加えた四人の方の体験的インタビューは格別な説得力があり、今後も掲載していきますけれども、注目しておいていただきたいと思います。

林さんに関してはタイトルを「管理された身体からの解放」としましたが、適切かどうかはわかりません。私の、話を聞いた全体の中での直観にもとづいてそのようにつけました。林さんの語りはどの局面をとっても貴重な内容なので、タイトルというものをつけるのは難しかったのです。ただ、やはり「管理される身体」の問題は、いま現在の若い人たちにも通ずる大きな要素だと私は思うのです。

林さんは管理されることに疑問を持ちながらも、「人を傷つけるのも、傷つけられるのも嫌だ」という優しさを抱いて、そこで命を懸けて苦しまれてきた方です。
「優しさと根底的な疑問」が不問にされる不条理の狭間の中で生きてこられた。その場で話を聞き、聞きなおし、原稿を何度も読みながら、考えたことの大きなひとつはそのことでした。

ひきこもりのひと一般、とはもちろん言いませんが、必要以上のものを背負ってしまった苦労を抱いてそこに生きる時間の多くを割いたというひきこもりの人は多いのではないかという気がします。

でも、私はそこで希望を損なわれた、時間を無駄にした、何かの犠牲者だと思うのは早計だと思います。(もちろん、そう思うときは当事者自身としてもあることですが、そこに絡めとられる必要もないということです)。

林さん自身が意識されていたかは分かりませんが、一生懸命に自分と向き合って、まっすぐに悩みきったぶん、ちゃんと出会うべき人に出会ってきた、良い人と出会ってきたんだろうなという気が非常にします。その結果として、ひきこもり史の真ん中のみならず、「不登校」界隈でもポイントとなる人と会ってきている。そういう行動を取ってこられたし、そういう人たちのレスポンスもちゃんと受けてきたんだろうなあと思いました。それは才能ではないかと思いました。

実は、実際に出会った林さんはひきこもりの「ひ」の字も似合わないような、キャリアウーマンと見まがうかのような人でした。根本的な素養が備わっていた分、凡庸な自分は素朴に、「惜しい時間を過ごされたんだろうな」と生意気にも感じてしまいましたが、恩師の泉谷閑示さんが仰っていたように普通の人が行かない道の先頭を歩く人なのでしょう。

活動の場所もずれてはいない。いまはUXフェスのあと、UX会議として「女子会」が始まっていますが、そういうトレンドもある必然性を持つ林さんには適宜適切な意味と動きの中にあるといえると思います。

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