2014年12月13日土曜日

インタビュー第三弾 野村俊幸さん(不登校・ひきこもり支援活動家)

お待たせしました。インタビューの第三弾をお送りします。

 今回は函館で精力的な若者支援、及びその家族支援をされている野村俊幸さん。その活動の内容とバイタリティはぜひインタビューで確認していただきたいですが、函館にうかがった際は午前から4時まで会合参加をコーディネートしてくださり、それからすぐに二時間近くインタビュー、そしてそのまま夜に当事者メンバーも含めた親睦会をセッテングしてくれた上、ホテルに帰る市電が来るまでずっとお付き合いをしてくれるサービスぶりで、すごいなあと恐縮するばかりでした。
 それは和歌山の宮西照夫先生の病院にうかがった際も似た感じで、場に集う若者たちと諸々雑談したあと、病院終了後、食事をご馳走してくれた上、帰りはホテルがあるJR和歌山駅から結構離れた南海和歌山市駅まで行くバス乗り場まで案内してくれた上に、次の日の和歌山城見学にその日付き合ってくれたリーダー格の当事者の方に「君、お城の紹介してあげたら」とまで。ちょっと躊躇してしまいまして、冗談交じりで「観光はひとりが好きでそれに慣れてるものですから」と言ってしまいましたが、とても真面目で読書好きな感じの人でしたから、いろいろ話が合ったかも知れず、今思えば少し残念だったかも。ただ、次の日は飛行機の早割り切符の関係から、午後の早い時間に帰る必要があり、ということもありました。

 話を戻すと、今回のインタビューは「不登校」と「ひきこもり」の違い、というざっくりといえばそういう流れでしたが、野村さんが言う「不登校は行かない、という選択肢だけれども、ひきこもりの場合は「何かしなければならない」回答を常に求められる」という整理は深く納得することでした。
 ひきこもりに関して言えば、和歌山の宮西先生は中南米の民間精神診療のフィールドワークを長く続けてこられた人ですから、視線には「文化精神医学」というものもあり、その国、社会の文化的な苦悩の表現、それを「文化結合症候群」といいますが、ひきこもりも日本の文化結合症候群という捉え方もされています。元々、日本には「ひきこもる」ことを美徳とする文化があった。ですが、グローバリズム、新自由主義経済の過剰な競争主義によってひきこもる美徳がひきこもる「問題」となって一層こじれが起きている、そんな見立てです。来年8月末に出版予定の自分のインタビュー集もこの観点が基底としてあると考えてくれても良いです。あくまでも見立ての一つですが。ひとり、ただ宮西先生だけのものではありません。

 さて、函館の野村俊幸さんのエネルギッシュな活動は実践とともに著書にもまとめられています。文庫『カナリアたちの警鐘』はとても分かりやすく、かつ誠実さに溢れる本です。野村さんはお子さんの不登校を経た結果、いまの精力的な若者支援をされているわけですが、葛藤やご自身が反省されていることもまっすぐに書かれていて、読んでいる僕はその真率さにまず深く打たれました。文章もその真率さが一貫して流れています。平易ながら内容は不登校、ひきこもりに留まらず、いじめ、フリースクールの歴史、子どもの権利条約、ソーシャルワークの原則など非常に幅広く勉強になります。サポートステーションでの相談員も勤める野村さん。直近の若者支援の行政を含めた支援情報が含まれ、そのアクチュアリティにも感心しました。多くの人に手をとって読んでもらいたい本です。お勧めです。

2014年9月13日土曜日

インタビュー第二弾 平野直己さん(北海道教育大学順教授)

 インタビューの第2弾。北海道教育大学札幌分校の平野直己先生の原稿が出来ましたので、「インタビュー・サイト ユーフォニアム」掲載させていただきました。

 平野先生は精神分析ベースの臨床心理の先生ですが、ざっくばらんなお人柄で、元原稿のリコーダーを起こしたら2時間のお話でワードで55ページにもなったという(笑)、何だか今まで最も会話の相互作用が頻繁だったとてもリラックスした笑いの絶えない時間でしたが、そういう雰囲気の中にもキラッと光る鋭い分析が随所にあって、纏める際もなかなか捨てる部分がないな、と思うばかりでした。

 結局4回に分けて掲載させていただく形をとりました。お話は平野先生の語り口を極力活かす形をとっています。領域的に関心のある方にとっては堪らない内容になっていると思いますので、是非時間がある際にご覧になってくださいませ。

 特に4回目にまとめて内容を挙げた壮年期の子どもが老いた両親を見ていく「下り坂の心理」、下山の心理学は自分のリアルタイムの関心にまさに応えてくれる貴重な内容です。この件に関しては教えを乞う側に留まらず、平野先生も同列に考えられる話題として語ってくれたのは個人的に非常に嬉しくもありました。内容も、あまり今のところ語られていない斬新な内容だと思います。世代が近くないとあまりピンと来ない部分もあるかもしれませんが、注目に値するものと久しぶりに自賛してしまいますです

2014年7月16日水曜日

大人も社会を学ぶ

今後のことも見据えて拙編書インタビュー集「ひきこもりを語る」を読み返していて、ある識者の「大人も今の社会を学ぶということですよ」という言葉に出会って、これだな、と思いました。

もと当事者として社会が分かっていない、多彩な各自の専門分化した仕事などの領域が広大で大人の年齢になっても社会が分かってないという漠然とした不安は常にありました。分からなさ過ぎることがハンディになっているのではないのか、とも。

でも、最近の物凄い勢いでの社会変化、特にテクニカルな環境が与える人々の意識変化など、もはや多くの人が社会を見渡せないんじゃないかな、と思うのです。

であれば、おそらく機能分化した各分野で物思いながら仕事をされたり、役割を果たしたり、あるいはそれらをキャンセルしている人たちの考えって一つ一つが価値があるんじゃないかなと最近思うようになりました。

私としては、それらの一つ一つが自分が思うことと一致する点や思いもよらぬ点などさまざまだと思いますので、それをインタビューという形で不器用ですが、お伝え出来ればなと思います。
「大人の人も学ぶ社会」のサイトがもし構築できたら凄いことですね!
夢だなあ。でも一人では限界がありそうです。長い目で見たら誰か協力者がいればなぁと思います。

あと、ネットは不特定多数なので、ネットに上げられることに関して困りますという話も今後出てくると思うので。。。その点も課題になるかな、と思っています。