2015年12月21日月曜日

インタビュー第七弾 発生生物学が専門の若原正巳先生のお話を掲載しました。

 実際お話を伺ったのは7月下旬で年末まで原稿をあげるのに時間がかかり、先生には大変ご迷惑をかけましたが、どうにか年内に若原正巳先生のインタビューを掲載することができました。
 生きものの生きる戦略や人間の特質、日本人の原型的な資質についてなど多岐にわたる話。かなりなロングインタビュー、いや実際の所、正確にいえば個人授業なのでしたが、ぜひ少しでも読んでくれる人がいてくれると嬉しいなと思います。
 もしかしたら前半、中盤の生物発生の仕組みや、生きものたちの生存戦略についてはすでに知ってるよ、という人も多いのかもしれません。ですが私は具体的に専門の方からこの手合いの話を聞いたのは全く初めてで、とても知的好奇心が刺激され、インタビューで落とせる部分がありませんでした。
 「生涯生殖繁殖度」という言葉が示すとおり、動物たちは端的に言えば自分の子どもたちを少しでも多く残す、もっと露骨に言えば自分の遺伝子を残すことが生存の最大目的としてこの世界にいるということ。そして、なぜか人間だけはそのことを主目的にしているようにはとても思えないこと。何というか、全てが不思議なことばかりではないですか!!と私は思うばかりでしたね。こちら側からすればせっかく生まれてきて目的が自分の遺伝子を残すことだけとは。そのためには性転換さえ当たり前の魚がいるとは。と直感的には思うばかりですが、それはこちらの角度で、生きものの世界では人間の持つ考え方のほうが不思議なことでしょう。まあ、とはいえ人間の社会も生存戦略として子孫を残すのが原点な訳ですが、それはだいぶ後景に退いた意識になっているといっていいでしょう。だからこそミーム(文化的遺伝子)ということが語られるのでしょうか。
 人間は自然から逸脱したでしょうか?果たして僕は自然から逸脱してしまったのでしょうか。そういう角度で考えるのも面白いことです。旧口動物の王様である昆虫、脊椎動物の両生類、爬虫類、哺乳類。類型化は出来るのですが、子どもの育てる機能はけして一様ではない個性もあるようです。胎盤がないのに子どもをお腹で育てる魚類のサメ、哺乳類なのに胎盤があまりに脆弱なので未熟児で生まれた子どもを袋に入れて袋の中に入れて母乳で育てるカンガルー、魚でも体外受精かもしれないが、口の中に卵を入れて卵を守る魚もいると。
 類の個性は標準化できてもその中でも個性的な種がいる。そう考えればホモ属サピエンス種のわれわれ人間も、その中で多様な個性があるし、生存戦略のためにこれからも個性を伸ばして生存戦略のための進化をしていく、変化をしていくのかもしれません。南伸坊×岡田節人さんの「生物学個人授業」のなかに岡田さんが興味深い一文を載せておりますので、ここで少し紹介します。
「生きものの科学とは、普遍と多様のはざまで仕事をしているのです。(中略)生きものの科学は、多様性の調査と、多様性への賛美から始まっています。やがて普遍の側面は大きく姿を現し、遺伝子の正体と働きが明らかにされることによって、一大クライマックスに達します。といってもトリの翼とサカナの胸ビレの違いが生物学の根本の現実であることは、あまりにも自明です。同じであること(普遍)を知ったら、多様も理解できるのでしょうか?普遍と多様のはざまに、二十一世紀の生きものの科学が新しく始まろうとしているのです」
 今回の(インタビューというよりは)講義のために、幾つか極めて優しい本で予習していきました。以下、参考程度に。もし、この種の話がいままでなじみなく、これを機会に関心が生まれたという人に僕が参考にした本をあげておきます。おそらく図書館で簡単に入手できるはずです。
●「爆笑問題のニッポンの教養① 生命のかたちお見せします 発生生物学・浅島誠」 (講談社)
●「生物学個人授業 岡田節人」 生徒:南伸坊 (河出文庫)
 以上二冊が生物の発生の勉強に使いました。特に南伸防さんは改めて思ったけれど、ものすごく文章がうまい。やさしく、わかりやすくを標榜する参考書のような文体。かつ、そこに「わかりやすさ」へのこびへつらいがありません。凄い人だと思います。ほかにも南さんの個人授業シリーズがあるのですが、残念ながら爆笑問題のテレビシリーズのようにはいかず、岡田先生以外、ほかに2冊くらいしかないはず。そのもうひとりは河合隼雄さん。ほかは確か養老たけしさん?くらいだったかな?確か。
で、後半の人間の特性については以下の本を参考に読んでいきました。
●「人間はどこから来たのか、どこへ行くのか」 (NHK取材班)高間大介 (角川文庫)
 あとはNHKスペシャルの番組「ヒューマン」のDVDを図書館でレンタルで二本ほど見ました。今回は予備知識が必要だと思いましたので、少し資料は多め。でも、知的好奇心を刺激される読みやすい資料たちたちです。
 もちろん、若原先生の本も。映画ファンは「シネマで生物学」などの本もおすすめです。ただ、私も先生が準備されている本の目次を見せていただきましたが、来年発刊予定の若原先生の新著は大いに楽しみにしてよいものと思います。

2015年11月8日日曜日

インタビュー第六弾:姉崎洋一さん(北海道大学名誉教授、特任教授)

既に掲載して数日が経ってしまいましたが、インタビューシリーズの第六弾を掲載しました。今回は北海道大学名誉教授・特任教授で教育学を研究されている姉崎洋一さん。
 
 今回は教育学の話よりもアクチュアルな話題である「安全保障関連法案に反対する学者の会」の北海道を代表する中心メンバーのおひとりとしてお話を伺いたいというかたちで、初めて今回はツテなしでお願いしました(但し、昨年三月に出版した自費本を買ってくださったご縁はあります)。
 インタビュー当日は安保法案の特別委員会で強行採決されると思われた日でしたし、当初は先生も超ご多忙と思い、反対の心境と法案への思い、その他9月16日というまさに法案成立直前の気持ちを伺って即時記事化しようと。いえ、実はそうするしかないほど時間がないだろうなという思いでインタビューに伺ったのですが、結果、何と約束の時間からデモへ出かける(!)時間まで大丈夫ですということで、結果三時間半にわたりお話を伺えました。結局、掲載はあの時期のリアル状況からは時間は経ちましたが、むしろいまあの時を改めて振り返るのには良かったのではないでしょうか。
 安保関連法案をめぐっては、冷静に考えると幾つか民意が揺れる局面があったと思います。そして僕自身もそうでした。昨年の時点で閣議決定される頃には公明党に淡い期待を抱きつつ、結局閣議決定は規定の政治的な事実で、その後長く衆議院の議論が始まってまでは私個人として「あきらめ」の感覚があったのは恥ずかしながら否定できません。それよりも安倍政権の周辺や安倍首相を擁する日本の政治家の人たちの幼稚さのきわまりに嫌悪感が強かったから「全ては彼らの思うとおりに」という諦めと何ともいえない忌避感があったのかもしれません。
 それが変わる潮目がもちろん1つは衆議院における憲法学者の憲法審査会での自民党推薦も含む「全員違憲」の発言で、そこからそれに対する与党の稚拙なリアクションや、学生の安保法案反対のデモであるSEALDsの動きであったわけです。
 折りしもこの法案を通して自分でも自明視していた「立憲主義とは何だ?」「民主主義とは何だ」「われわれはどういうものによって集団統治されているのか」という根源的な問題を考えさせられたわけです。
 国政選挙がない以上は民意が反対の声を何とか届けるしかない。それが国会をとりまくデモであったり、安保法制に反対する学者の会であったり、ママの会であったり、いろいろです。で、自分として考えたのはやはり「インタビュー」ということでした。自分は基本的にシュプレヒコールにあまり乗れるタイプではないし、サウンドデモには好感持っていますが、それに乗れるほど若くも無いし、どうしたらいいか?という方法の模索の結果が「反対する学者の会」の姉崎先生に反対の根拠を伺おう、アプローチでした。
  先生は一貫して優しく、しかし硬骨の精神で日本と世界を覆う現状を語ってくれ、あっという間に時間が過ぎました。実は今回のインタビューがいままでで一番よどみなく自分自身が聞いて話せるものでした。それくらいかなり興味関心が似通っていたので。。。時間が瞬く間に過ぎ、先生は6時半から始まるデモに行かれる30ほど前までお付き合いいただきました。おそらくその後は準備が大変だったことと思います。本当にありがたいことでした。
 それにしても、インタビュー内でも語っているSEALDsの方法論は画期的でした。「立憲主義とは何だ」「民主主義とは何だ」という根源的な問いかけをするデモのアプローチ、新規のシュプレヒコール。音楽のリズムと政府批判デモの融合はかつての日本にはなかったのではないでしょうか。また、彼らが過去の教養をきちんと吸収し、現在のポップカルチャーをもって人々に思いを伝えて巻き込む。対決というよりも表現。過去の知性へのレスペクトと、多忙な人たちへ思いを伝えるための方法論の構築。結局、その表現に対して稚拙な政府側はあまりに幼稚な反論をしたりした。
 現実の議論のフィールドという場面で言えば、どちらに分があったか歴然でしたね。まあ、そんな批評家めいた物言いはこの一度限りにします。それはいい年をした大人のとる姿勢ではないので...。

2015年9月29日火曜日

北海道新聞夕刊に「ひきこもる心のケア」に関する記事が載りました

昨日(9月28日)、北海道新聞夕刊の記事で『ひきこもる心のケアーひきこもり経験者が聞く10のインタビュー』が取り上げられました。
ありがとうございます。以下、記事を掲載します。

2015年8月31日月曜日

 このたび元ひきこもり経験者としてひきこもりの支援実践を行っている人やひきこもり関連の研究者をされている方々へのインタビューをまとめた書籍『ひきこもる心のケアーひきこもり経験者が聞く10のインタビュー』が世界思想社より出版されました。
 私がインタビューアーとなり、10人の先生方の話を編纂しています。丁度一年越しの作業がやっと実を結んだ形となります。実際はインタビュー作業は2011年の秋から始めていたのですが、昨年書籍化のためにインタビューの内容そのものを全く変えて専門領域でお話を伺ったもの、あるいは補充インタビューしたもの、そして新たに道内外の支援実践者3人を加え(うち、参加NPO法人団体の理事長に改まって話を訊いたものを含む)全部で10人。実質、この1年の作業をまとめた本といえましょう。
 
 私自身が読み返して編者自身、おこがましいという気もしますが、率直に「これは面白い」「面白いし、ためになる」と思いながら読み終えました。
 10人の先生方のお話が、いわゆる「社会的ひきこもり」に特化したものばかりでないにもかかわらず、その語りが相互に共振している感じがあり、言葉では「○○である」とはうまく言えないのですが、ある種の共通のベクトルが見えてきた気がするのです。その結果、「ひきこもり」をとりまくいままでの言論環境の中にあっても新鮮な、そして新たな「共通認識」を創るものと思われる角度を提起できたのではないかと思われるのです。
 ただ一番、おそらくみなさんの共通問題として言えるのは、「過剰な競争社会化」「自己責任論の浸透」「社会の流動化の促進」というあたりのこと。本書でとりあげたひきこもり問題の背景、底流にその語りの中に流れているような気がします。
 
 本は全部で四部構成。第一部は支援実践者の物語り。まさに物語りといってよいような、支援実践に至る過程に支援者自身も若いときにいろいろと深い模索の時期があったことがわかります。序章でわたし自身のひきこもり経験を詳細に、逆インタビューされていますので、できれば昨年出した自費本を読んでくださった方は、今回はできるだけ最初から第一部、第二部という順番で順番に読んでいただければ、と思う作りです。そのように新鮮なひきこもりをめぐるストーリーがイントロダクションとして色鮮やかに、この本の全体像へとつなぐ流れを構成しています。
 
 その形で第二部は「ひきこもりと心理学」、第三部は「ひきこもりと発達障害の関係」、第四部は「社会的排除としてのひきこもり」といった流れで終章で本書の監修者と私でインタビューを終えた後の感想対談をする、という作りです。
 
 ひきこもりという現象、この現象の渦中にいる人は全国で70万ほどとも言われているようです。ただ、その態様の幅はわたし自身はわからないところもありますし、実際、何をもって「問題となる」ひきこもりなのか、というのは正直どうなのだろうか?という気がします。「つながりを失っている」「つながる場所が見つからない」という共通項はあるかもしれませんが、私たち生活者と何か確たる断絶があるのだ、とは私は思いません。ただ、本書でも和歌山の紀の川病院というところでひきこもり研究所を開所している宮西照夫先生が語る「ひきこもり臭」がある、という意味での共通項はあるかもしれません。
 
 しかし矛盾するようですが、「ひきこもり」が最近語られなくなってきたのが気になるところです。もっと大きくいえば、社会に伏在する種々の困りや困難への照明が「落ちてきている」ような気がするのです。それは端的に言えば、私が懸念する政治の動きで、どうも人びとが国を創るボトムアップ型社会の構想とは真逆に、「国民から国家へ」のトップダウン型社会になりつつあり、そのため生活の中のさまざまな困難が置き去りにされる可能性を危惧しています。(やや物事を大きく取り上げすぎかもしれませんが)。
 
 いずれにしても、すべてのインタビューが成功したとはいえないかもしれませんが、本書の八割方は非常に面白い、興味深い出来になったと多少の自負があるところです。そして本書をベースにしてインタビューをはじめたならば、そうとうなものが提出できたのでは?とまた、おこがましくも思います。
 
 思い返せば、本の編纂の過程ではいろいろなことがあったな、と思います。それは共同作業を通し、編者、監修者、出版編集者それぞれのリアリティを軸とした立場を交錯しながら、時にこちらが思い込んでいたほどには自分が考えていた「ベース」が理解されているわけではなかったとか、それはお互いにさまざまな思いを共同作業の中で感じたことと思います。
 でも、例えば、その私が感じた「さまざまなこと」こそ「社会的生産の合意点つくり」だったわけですし、このような活動は古風にいえば”上部構造的な”作業ですが、でも社会のための「生産活動」でした。つまり初めて社会へと、つまりは世に問う、そして誰かのためになってもらえる希望を託す「インタビュー集」という作品になりました。
 ぜひ多くの人に手にとってもらいたい、それが偽らざる心境ですが、読まれて厳しい評価を受けること。これも大事な社会活動です。どうか手にとって下さる方があれば、ご自身の「思い」で、その感性に忠実に、ナチュラルな形で読み進めていただければ幸いです。
以下、内容の目次です。
 
はじめに
序章 ひきこもりという経験  杉本賢治
第1部 ひきこもり支援の最前線
第一章 自立を強いない支援  塚本明子 (とちぎ若者サポートステーション所長)
第二章 仲間の力を引き出す  宮西照夫 (紀の川病院ひきこもり研究センター長)
第三章 ピア・サポートという方法  田中敦 (NPO法人レター・ポスト・フレンド相談ネットワーク理事長)
第2部 ひきこもりゆく「心」
第四章 対人恐怖とひきこもり  安岡譽 (北海道精神分析研究会会長)
第五章 自己愛とひきこもり  橋本忠行 (香川大学准教授)
第六章 モノローグからダイアローグへ 村澤和多里 (札幌学院大学准教授)
第3部 発達障害とひきこもり
第七章 オーダー・メイドの支援  二通諭 (札幌学院大学教授)
第八章 自閉症スペクトラムとひきこもり 山本彩 (札幌学院大学准教授、元札幌市自閉症・発達障害支援センター所長)
第4部 社会的排除とひきこもり
第九章 若者が着地しづらい時代の支援 阿部幸弘 (こころのリカバリー総合支援センター所長)
第十章 生活を自分たちで創り出す 宮崎隆志 (北海道大学教授)
終章  ひきこもり問題の臨界点  杉本賢治 × 村澤和多里
おわりに

2015年8月21日金曜日

インタビュー第五弾 政治学者、田口晃さん。

お久しぶりです。新しいインタビュー記事の更新が収録日より丸まる二月遅れてしまいましたが、昨日掲載をしました。
 
 今回は「民主主義」について。収録は6月19日で、NPO法人Continueというところで毎週行われているオックスフォードのペーパーバック、「Buddism」の英語購読会のファシリテーターをしてくださっている田口晃さんに七回にわたり、北海学園大学法学部一般教養の政治史を自由討論の中で学びながら、その背景を元にしてContinueの理事長さんとスタッフさんを交えた座談形式で行いました。それゆえ、私たちの準備の続きをもとに話しあいを行ったため、内容がやや難しめというか、抽象度が高い面があるかもしれません。ですが、いま、民主主義の意義が改めて問われている状況なので、アップ・ツー・デートな内容だと思いますし、同時に、NPOのスタッフの方の発言や私の発言で、「民主主義はどういうものと考えてこられ、その実質が、意識や考え方として(日本で)どういうふうになっているのか」を考える耐久性の高い内容になっていると思います。

 今回も分量は多めにとりました。形式話ばかりでなく、「本音の」というか、意識の深層に内容が後半特に、展開がなっていくのが見えてきて、いろいろと刺激的な内容になっていったと思います。少なくとも私は非常に面白く、今後も似たような別の企画を立てれればと思います。「いま、民主主義はどうなっているのか」というところに関心があるかたにじっくりご賞味いただければ幸いです。
 次回のインタビューのお話はすでに7月末にお訊ねすることができました。今回は発生生物学の先生で、生きものの世界の生存戦略の不思議さ、面白さ、そして自然界の生きものとして、特異な存在であるわれわれ人間の登場から今後のありかまで、非常に面白い、トリビア?も満載な内容です。幸いに、自然学と人文学の出会いの内容になっております。できれば来月には掲載したいと思っています。どうかお楽しみに。

2015年3月30日月曜日

インタビュー第四弾 櫛部武俊さんと、生活困窮者自立支援制度

今年の二月下旬、釧路を訪れ、「生活困窮者自立支援制度」のモデル事業を全国に先駆けて行っていた一般社団法人 釧路社会的企業創造協議会の事務所を尋ねて行った櫛部武俊さんのインタビュー、遅れに遅れましたが、本日掲載させていただきました。丁度、制度発足直前という、ある意味ではタイムリーなものとなった、としておきましょう(笑)。

 内容の長さや私の文章の中でも垣間見えるかも知れませんが、私はかなりな「櫛部ファン」です。櫛部さんの魅力はさまざま思うのですが、一番思うのは、櫛部さんという人は人と「共有」したい人なのではないか、ということです。今風にいえば、「シェア」したい人、というか。

 生活困窮者自立支援制度とか、生活保護制度のゆくえの中で活躍する人という捉え方だと、どうしても経済問題や社会問題の枠組みのスペシャリストとして捉えがちになりますし、行政マンでもあった櫛部さんには特にそういう視点でまず考えてしまいそうですが、実際の櫛部さんはむしろ「人と気持ちを分かち合いたい人」という気がするんです。

 「こう思わない?」「そういうとこあるよね~」「あいつすごいね~」「これ、どう思う?」「何か違わないか?」みたいな、人と人との関わりあいの割合深いところの「そうかな」「そうだよね」という分かち合いを求めていて、それを阻むのが経済とか、社会関係とか、孤立孤独とか。そういうものを取り払われた中で人が自由に「感じられる」状態をわかちあいたい。それを阻むものと向き合いたい。何よりもまず経済問題とか、社会問題が先にある人だけではけしてないんじゃないかと思うんです。
 そうでないと、私みたいな身分不詳なものにこんなにいろんなことは話してはくれないと思います。おそらく櫛部さんの明るさと人間探究心はかなり若い頃に培われた何ものかだと思いますが、それをきっと組織人としてシンドイ時も忘れないで来られた。その恩恵はちゃんとあって、僕は釧路に櫛部さんがおられることが寒い土地柄だと思うけど、灯火な気がしています。職場も若い職員の人たちも含めてとても明るいものでした。

 困窮者自立支援制度の具体的なことを付け加え忘れてました。

 行政はまず生活相談の窓口を設置し、相談に来られた人の支援計画を作ります。これが法定必須事業。もう一つの必須事業は離職後に住宅を失った人を対称にする「「住宅確保給付金」。
 任意の事業として、日常生活自立、社会生活自立をベースにした「就労準備支援事業」、ホームレスなどの人のための「一時生活支援事業」、家計相談、家計管理に関する扶助「家計生活支援事業」、そして生活困窮世帯の子どものための「学習支援事業」などです。

 釧路では中間労働、社会的企業として「魚網作り」を行っていますが、現在多くの自治体では任意事業の動きは鈍いようです。現在進行形の法律なので、今後を見守って行きたいものです。