2019年8月28日水曜日

村澤和多里先生のインタビューを掲載しました。

また少し時間を経てしまいましたが、碩学の精神科医、中井久夫さんの評伝『中井久夫との対話ー生命、こころ、世界』を兄、村澤真保呂氏(龍谷大学教授)と共著された札幌学院大学の村澤和多里教授(臨床心理学)へのインタビューをお送りします。

私自身、村澤和多里先生との接点は長く、もともとはひきこもりNPOのための取材で2012年にお会いしたのが始まりです。当時もいまも珍しい、ひきこもりを主に研究している臨床心理の研究者で、角度も新鮮であり、自分が当時ひきこもりに思い描いていても身に染みることばを探っていたところ、「これだ!」という言葉を発してくれたのが村澤和多里先生でした。特に「こころと社会の間で捉える」という観点はまさにこれだ!と自分も思うことだったのです。

その後も同様、共著された『ポストモラトリアム時代の若者たち』の一年近い読書会や、ぼくがNPOのインタビュー取材をまとめた自費本作成後に一般書籍化に向けて編集者のかたを紹介してくれ、その後監修者としてインタビュー本を共著してくれたりなど、密度の濃い時間を過ごしたこともありました。

さまざまなお世話をしてくれ、また村澤さんとの対話はぼくにとっていつも刺激を受けられる嬉しいひと時の連続で、個人的には感謝に堪えない恩人という関係です。
今年の春からの大学での講座にももぐりで参加させていただいたり。(内容は日本の明治以後の近代化過程における自意識の問題、対人恐怖などの症状の起こりを日本の近代文学の黎明期などから紹介して深堀していくもの)
何よりうれしいのは講義が終わった後も、その日のテーマに即して引き続き感想や疑問を直接語り合えたりすることができたこと。現実の大学時代にこういう時間が欲しかったんだよなぁ、と改めて思ったものです。やはり頭で思うことと身体で反応すること、青年時代の遠慮や不安など、年齢要素があって人間というものは頭と身体にズレがあるものです。また、自分が結局どの程度のものかもわからないものです。でも、こうしてそういう得たいなぁというものが今でも得られたことは人生のだいご味かな、と思います。

それはもともと村澤先生が持っている知的な関心の高さが人を選ばずに広がっていると思われることも大きいでしょう。オープンな人柄は一貫して変わらないし、失礼ながら多少「言い過ぎ」な発言も許容してくれる心の広がりがあるかたです。
すごく感じるのは、村澤さんという人は何か「世界を掴みたい」というとても大きな夢をいつも見ているような印象がすごくする人で、ぼくもつい影響を受けてしまいます。

いやはや、自分自身の個人的経験を書き連ねてしまいましたが、今回は村澤先生御兄弟の父親と精神科医にして文人でもある中井久夫さんの親友関係を軸に、その親友の父の子としてみた血の繋がらない叔父のような関係としてある中井久夫氏の評伝について話を聴き、また、中井久夫氏の医師としての独特な臨床哲学を聞きました。

村澤先生自体に時間があまりなかったのと、そのため論点の整理を絞り切れず拡散しがちで、深堀りしきったか?と言われると赤面するところもあります。この辺りはかつて村澤先生自体がツイッターで非常に詳しい説明をされていますので、是非本を読んで村澤さんが整理して考える中井久夫やH.Sサリヴァンについての明確な短文記述がありますから、詳しく知りたくなった方はそちらのほうで確認をしてみてください。
ただ、このインタビューでも患者さんを外的に適応させることに主眼を置くのではなく、温かいまなざしで療養を進めていく姿勢や、ジャズに模して共にリズムとしてセッションに参加して音律をその人が調律が崩れていくのを戻していく治療的姿勢など。そのような表現から学ぶことができるのではないでしょうか。

最後に改めてまた村澤先生について。何にでも知的な好奇心を持つ村澤先生。当方もそういう姿を見ているのが楽しくなるのですが、共著本の締め切りで校正の言葉を一つ一つ確認する明日までの締め切りの深夜近いファミレスで。夜も11時近く、校正候補の言葉の一つにこだわりだして、スマホで確認される先生。ジョークでなく、真剣に調べ始めた先生には僕もさすがに(もう時間が無いんですよ!)とつい「イラッ」としたこともありましたが(笑)。思い返せば楽しい思い出で、村澤さんの「いまを熱中できる」性格にうらやましさも感じた次第です。いや、初めての真面目な仕事で、真剣にもなったし、楽しい語り合いもあった良い思い出でですね。

今後もぜひつながっていければなと思う次第です。

PS.
『中井久夫との対話』書評もインタビュー中に挿入しました。評者は村澤先生の大学の同級、岩波書店編集者の渡部朝香さんです。

2019年6月3日月曜日

原口剛さんのインタビュー後編を掲載しました

お待たせしました。
原口剛さんのインタビュー後編をお送りします。
後半はまずジェントリフィケーションを話題としましたが、改めてジェントリフィケーションとは?というところからおさらいしましょうか。

ジェントリフィケーション(英語: gentrification)とは、都市において比較的貧困な層が多く住む中下層地域(インナーシティなど都心付近の住宅地区)に、再開発や新産業の発展などの理由で比較的豊かな人々が流入し、地域の経済・社会・住民の構成が変化する都市再編現象である。日本語では、高級化、中産階級化、階級浄化などの訳語があてられる。これにより、貧困地域の家賃・地価の相場が上がり、それまで暮らしていた人々が、立ち退きなどによって住居を失ったり、それまでの地域コミュニティが失われたりすることが問題となる。(ウィキペデアより) 

いまでは日雇い労働者の街、釜ヶ崎がある新今宮駅界隈もジェントリフィケーション化されつつあるようです。ひとつひとつ、原口さんが重みを込めて語る言葉を噛み締めてほしいと願うし、ぼくも僕自身そうしていかねばならないと思います。

札幌もJR駅の東側の再開発が凄まじく、新千歳駅から札幌駅に着くあたりのアナウンスが入る頃の風景には仰天させられるほどのタワービルの乱立がみられます。主に10年後の新幹線延伸をあてにしたマンションの乱立だと思いますが、駅周辺再開発に伴うとなりの新しい苗穂駅というところは、ショッピングモールを出て入駅するとエスカレーター完備の見事に完備された駅ですが、近場に職場や利便の悪さゆえにガラガラ状態。ここで費用をかかりすぎると見込むなら、新千歳空港駅から苗穂駅に止まるようにするしかないでしょう。
それにしても、昔の苗穂駅周辺を知る者として、実に無駄な再開発だと思います。
政治が金儲けとつるんで、生活と向き合わないととんでもないことになり、現にそうなっているからこそ、このところの人々の経済格差のみならず、地域格差、インフラ格差が露骨な露呈をしめしていると思います。

ジェントリフィケーションが美化された形ではそういった人工インフラによって報復され、そして破壊され、ぼくらはちりぢりバラバラになるかもしれない…。

いまや必至に住む土地にへばりつく人たちが、おおむねの中流から下降に向かう人たちがともに叩き合う時代になってきているように思います。事件が起きれば弱者が弱者を叩く、強者が弱者を叩くのみならず。
本当は生活する人たちが日々の連続性を守るための闘いをしなければならないのでしょう。
闘う相手はあなたやぼくの鏡じゃなく、それは大きくて、見えにくい、構造という怪物。無駄なあがきか?確かに勝ち目はないかもしれませんが、それを考える甲斐はあるんじゃないかと思うのです
そんなこんなで原口さんの深い洞察ある言葉にどうか是非目を通してほしいと思います。

ロングなインタビューですが、前後編併せて読んでいただければ望外な喜びです。

2019年3月7日木曜日

原口剛さんのインタビュー前編を掲載しました。

釜ヶ崎をフィールドワークしている人文地理学者、原口剛さんのインタビューを掲載しました。こちら。→

内容はご覧いただく通り、原口さんのヒューマニティを繊細に感受する力と、説明能力の高さからその説得力は比類ないものとして受け止めていただけると思います。今後この前編のみならず、後編もあります。まず日雇い労働者の街、大阪市釜ヶ崎の寄せ場、ドヤ街のありようは何となく基本的な理解を前提にした感じでしたので、インタビューで直接には釜ヶ崎の半世紀について特段な形では聞いておりませんので、このブログで簡単に振り返りお伝えしたいと思います。

現在の「釜ヶ崎」(公的地名ではない。それは東京のいわゆる「山谷」も同じ)は大阪市でも南側環状線内の主要な駅であるJR新今宮駅西口から出ると信号を渡ればすぐです。信号を渡った駅の向かいには釜ヶ崎を象徴する「あいりん労働福祉センター」のゴツイ建物が目に入ります。ここが日雇い労働者の人たちと、日雇い求人の業者が相対して労働需給の決まる場所です。その労働市場の機能が働くのは早朝の4時〜5時台のことで、あえて言葉悪く言えば「魚市場」などに似た、「市場」だといえば「なるほど」と思うような建物です。(現在、耐震構造の問題で建物の改築の動きもあるそうです)。その建物を労働者たちの寄せ場の中心として、周辺に簡易宿泊所、いわゆる「ドヤ」街(宿をひっくり返した言葉)が立ち並びます。簡易宿泊所は「アパート」や「ホテル」と名がついているのが普通ですが、実際のところ現在の釜ヶ崎は日雇い労働者の簡易宿泊所の機能のみならず、元日雇い労働者だった人たちの高齢化に伴い、定住化した生活保護受給者や年金生活者の人たちが増え、いわゆる「共同住宅」化も進み、それゆえに実態として「アパート」が増えているともいえそうです。午後の早めの時間も歩いている人はそれほど多くはなく、事実、歩いている人も高齢の人が多い印象でした。

元々は労働者や各種の雑業をやって生活している人たちが仮住まいしていたのが「木賃宿」というもので、それは現在の釜ヶ崎ではなく、「長町」といわれる「日本橋」とつながる場所でした。それが明治三十六年に現在の「新世界」と天王寺公園を中心に第五回内国勧業博覧会を行うため、一帯を浄化するために長町を締め出し、長町に住む労働者たちを現在の新今宮(当時の今宮村)方面に移動させ、そこが釜ヶ崎と言われる場所となるわけです。端折って続けると、その後は太平洋戦争で大阪市も大空襲、新今宮近辺も焼け野原となりました。その後の復興の過程での1950年代はその地は典型的なスラムとなったのですが、表通りにドヤが立ち並び始め、家族持ちの人々がさまざまな小売り商売で生活を始めました。高度成長期に入る日本社会は職を求めて地方の農家の後継者になれない人、閉山炭鉱労働者などが流入。大阪港の港湾労働者や建設業、製造業に就くようになります。その中で大きなインパクトとして1961年に労働者による第一次暴動が発生しました。これを契機に行政が大きく動く。一つは釜ヶ崎に住む家族のいる世帯を対象に地域外への移住対策として「あいりん寮」「今池生活館」といった施設に1年半入居させ、その後は地域外に公営住宅をあっせんする政策をとり、釜ヶ崎は単身男性労働者の街へと変貌していきます。加えて釜ヶ崎を釜ヶ崎らしいインパクトのある街へとしていくのが1970年の国策としての大阪万国博覧会でした。この国家的事業をするための労働力として範囲が狭い釜ヶ崎地域に大量の若い労働力が集められます。ドヤもビル型のものが増え始め、居住空間一畳個室のような眠れるだけの「マンモスドヤ」も登場。暴動も頻繁となり1963年から10年間で第三次暴動~第二十一次暴動が起き、暴動の街、釜ヶ崎のイメージが膨らみますし、劣悪居住ゆえに大型火災事故なども起きます。また、労働の形態も1960年代に中心であった港湾労働は港湾の近代化に伴って減少し、代わりに万博やのちの80年代バブルまでに至る公共事業など(関西空港建設、関西学研都市建設、阪神大震災の復旧事業など)で日雇い労働者の産業も建設労働者へと中心が変化し、釜ヶ崎は一層活況を呈します。

そのバブルが崩壊した90年代半ば以降は一挙に釜ヶ崎の労働者の仕事も減り、90年代は野宿者が増え、その野宿の人たちは釜ヶ崎一帯からより外側の天王寺公園や長居公園、大阪城公園などにブルーシートでテント村を作っていくという現象も起きたといえるのではないでしょうか。

その釜ヶ崎での日雇い労働者の人たちも単に受動的な存在ではなく、暴動という表現だけのみならず、例えば60年代では港湾労働者組合を結成するなどして雇用保険や健康保険の日雇い労働者手帳を獲得したり、労働現場の実態を訴えて闘うなど(平井正治さんという人などがその代表的なひとり)、70年代には暴力団関係の手配師(労働仲介者)を排除する闘いをした釜共闘(理論家としては船本州治など)の活動など、労働運動の担い手となった人たちがいたわけです。

あまりにもざっくりとしたこの説明では詳しい人たちに怒られます。
まずはぜひ原口剛さんの『叫びの都市ー寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者』や、『釜ヶ崎のススメ』(共に洛北出版。特に入門としては後者は良いかもしれません)を読んで正しい理解をしてください。

インタビュー後半は都市浄化政策のひとつである「ジェントリフィケーション」について主にお聞きしています。札幌もいつのまにか所謂「タワーマンション」が立ち並び始め、都市再開発の波が押し寄せてきている印象です。この現象は何を意味するのか。続けて原口さんのお話、乞うご期待を。

最後に、釜ヶ崎の半世紀とはどういうものであったのか。原口剛さんの講演映像をアップします。非常に分かりやすく説明をしてくれていますので、こちらもぜひご覧いただけると幸いです。


無縁声声ー日本資本主義残酷史 平井正治

黙って野たれ死ぬな 船本州治

釜ヶ崎語彙集1972-1973 寺島珠雄







2019年1月1日火曜日

本年もよろしくお願いします。

あけましておめでとうございます。
今年で2010年代もおしまいですね。

昨年は5人のかたにお話を伺い、4人のかたのインタビューを掲載しました(越年を含む)。
いまは大阪の日雇い労働者の街、釜ヶ崎をフィールドとし、都市再開発とそれにともなう都市の上からの浄化という資本主義的な問題を研究されている人文地理学者、原口剛さんのお話前編部分の校正終了待ちです。越年ではありますが、このインタビュー原稿、前編部分ですが、早く多くの皆さんにお届けしたい素晴らしいものです。
どれもが大事な自分のインタビュー記事ですが、特に出色なものではないかと思います。
語りそのものですでに完成度が高いのですけれども、校正に手を入れてくれることでより説得力がます原稿になるでしょう。私も楽しみです。

本年も理想を言えば6人くらいのかたにお話を伺いたいのですが、いかんせん同居で見守っている母親の認知症の進行が早く、自由がなかなか効かないところなきにしもあらずで。
そこに関しては何とか本人や介護保険で援助してくれる医療福祉関係者の協力をいただいて、どこへでもお邪魔できるのであれば、と思っています。

自分のインタビューはわかりやすさよりも、密度や深さを重視していく、結局はそれが個性なのだろうと思い極めたところもありますので、無学ながら来年はよりいっそうディープで詳細な内容のもので攻めていきたいと思っています。
どうか本年もこのサイトを、ご愛顧のほど、よろしくお願いします🙇


2018年11月5日月曜日

立正大学社会福祉学部教授、金子充先生のインタビューを掲載しました。


前回掲載のインタビューから少し時間が経ってしまいましたが、立正大学社会福祉学部教授、金子充先生のお話を掲載します。こちらです。
金子先生を知る経緯となったのは、もともとは本年1月31日にお会いした札幌国際大学の短大で教鞭をとりつつ、「労働と福祉を考える会」というボランティア組織の代表をされている山内太郎さんにお会いする際の予習として購入した、『入門貧困論』に惹きこまれたためです。魅了されたんですね。

著作を読了した後、横浜で開催している『新ひきこもりについて考える会・読書会』というものに私はSkypeで参加させてもらっているのですが、Skype管理をしてくれ、世話人をされているひきこもり研究の社会学者、関水徹平さん。その関水さんと同じ大学、同じ学部ということで金子先生をご存知か問い合わせたところ、何と研究室が隣だということで。あいだに関水さんにも入ってもらい、金子先生のインタビューが実現できたわけです。

本書は「貧困とは何か」という定義について約400ページのほぼ半分に渡り、貧困に関するレッテルやラベリング、負のイメージの通念を翻し、「貧困」は個人の努力とは別の構造的問題であるという視点で書かれています。
内容に関してはぜひ手に取っていただきたいところです。

インタビューに関しては本書に即した内容はあまり聞いてはいませんが、いま問題として浮上化している奨学金という学生さんに圧し掛かる負債について若者にかかる負担を強く思わざるを得ませんでした。金子先生がいみじくも言われるとおり、「債務奴隷化」によって、政治や社会の積極的関与を困難にしている状況なんだろうなと。

社会への関与の難しさはひきこもりという観点で考える場合に先駆的に強く意識されてきたことですが、こと、ここにきて普通の若者にも同じような精神的負担がじわじわと迫っているような感じがします。
金子先生の本にある極めて説得的な貧困論と公的扶助論は、冷静さの中に熱さがあり、それはそのようなかたちで若者に負わされている負担に対する静かな憤りがあると思うのは考えすぎでしょうか。

僕が思うに、
子どもが成長しておとなから学習して学び、社会と自分の関係を意識したとき、社会環境を背景として個人としての「アイデンティティ」が浮かび上がる。
いま、その「アイデンティティ」が、事実上社会適応や「労働への包摂」という形で「排除から包摂」で適応されて良かった、となる。それが本当に良いことか?という疑問を改めて感じるところです。

それにしても、自分が教えている学部の特色かもと語りつつも、学部生たちが卒業後すぐに経済的自立をし、親の援助もしているという金子先生の話には驚きです。
社会の非正規化や圧迫化の影響かもしれませんが、親御さん自身が経済的に苦しい、あるいは精神的な失調にある。それゆえに子どもが親御さんの面倒もみる。けなげだというしかありませんが、やはりそこにも社会の歪みあるのではないか…と思うのは考えすぎでしょうか。いずれにしても、奨学金に加え、親の面倒も見るとなると、日本も昭和20年代~40年代に逆戻りしたのか、と驚きを禁じえません。

ややネガティブな事象を書き綴りましたが、思うに金子先生の展望にはベーシックインカムの成り立つような社会にある思いますが、過程において種々の「社会手当」の拡充をまずは求めるということがあると思います。いま、生活保護も受給額も減額され、バッシングも跋扈していますが、それは日本社会そのものの首を絞める行為なんだとわれわれもそろそろ深刻に気がついたほうが良いのではないでしょうか。

偉そうなことを書き連ねていますが、今回のインタビュー、インタビューアーがしゃべりすぎ(汗)。聞き返すたび、「自分ごときが生意気に」という感じで心が痛みますが、どうしようもなくほとばしってしまったところもありで。どうかご勘如をお願いいたします。


2018年7月8日日曜日

札幌遠友塾自主夜間中学代表の工藤慶一さんのインタビューを掲載しました。

まずは昨日までに豪雨にて西日本、南部の全体に甚大な被害を及ぼした災害に心よりお見舞い申し上げます。311以降毎年のように意識させられることですが、やはり日本の国が持つ自然の恵みと同時に、それが牙を剥きだしとする自然現象と共存せざるを得ない。この国ではそういう二面性を持つのだなと改めて考えざるを得ません。

さて、今回はさまざまな理由で、例えば戦後の混乱や子ども時代からの長期の病気療養、あるいは現代的にいえば外国からの労働で日本にやって来た人たちなど、基礎的な学びの機会を失ってきた人たちや、持てない人たち。基本的ないわゆる、古風にいえば、「読み書きそろばん」の機会を失ってきた人たちのために運営されている、「自主夜間中学」を1990年から運営してきた札幌遠友夜間中学の代表の工藤慶一さんのインタビューをお届けします。
内容はこちらです。

本年、この自主夜間中学のドキュメンタリーも地元の民間放送で放映されましたが、大変説得力のあるものでした。実際、生活者としてはこのような番組こそゴールデンタイムで放映してもらいたいと思ったものです。

自主夜間中学で基本的で基礎的な学びをする。それを求める実情がある人たちがいるということ。それは「より高い学力」「より高い向上心」、分かりやすく目に付きやすい向上する「力」を良きものとして流布していくいまの世間の中では、ともすると全く見過ごされやすいものだと思います。(例えば分かりやすい結果が出るスポーツの世界。オリンピックやワールドカップでの日本選手の活躍を褒め称える、あるいは彼らの努力の過程を英雄的に取り上げる状況がありますね)。

それ自体は何ら問題のないことですが、自分たちの社会の中にはさまざまな事情で基礎的な学びを得る機会を持てず、生活の中で想像を超えたさまざまな障がいに出会う機会もあるわけです。そこをフォローし、多くのボランティアとともに教え学び合い、人と人として触れあう。そこに強い問題意識を持ち、「この道」として選んだ工藤さんの生きる目的はここだ、との使命感を持った。なかなかいまの時代には持ち得ない切実な発見があったのだなと感じ、それは大変説得力のあるものでした。

同時に、その工藤さんは実に柔和な笑顔が絶やさず、非常に温和な語り口が印象的でした。しかし同時に、社会的に置き去りにされた人たちに対しての行政のありようなどに関しては強い憤りをお持ちのようで、その熱い気持ちも内側に秘めているのだろうなと。
そういう人としての魅力を、向き合っていて強く感じる「人」としての存在感を感じさせていただけるインタビュー体験でした。

2018年6月24日日曜日

札幌のホームレス支援ボランティア団体代表の山内太郎さんのインタビューをお届けします。

 また大変ロングなものですが、久しぶりに新しいインタビューを更新します。こちら。
今回は、本年1月末に行った、主に北海道大学の学生さん有志と、労働問題や福祉問題の研究をされている大学の先生が札幌での路上生活者の支援を行なっている『労働と福祉を考える会』略して『労福会』で代表を務める札幌国際大学准教授の山内太郎先生のお話をお届けします。

 私も素朴で率直な疑問というか、問題意識として、大変に寒く厳しいこの札幌の地で家を持たずに路上で冬を越すということ。それを可能にしてしまう個人というもののある種独特のパワーと、そのような人たちを不可視化してしまおうとする都会の匿名的な人間集団としてのわれわれというあいだの社会的関係を改めて考えてみたいと思いなおした次第です

 かといって、そのメカニズムの端の端、その一端でも知りたいと思ってボランティアをするほどの真剣さもない。そこに主に北海道大学の学生さんのまれな部類かもしれませんが、良い意味で好奇心に動かされ、ボランティアとしてホームレスの人たちと関わって行くその意識のありようは、山内先生のお話を聞いていて了解するところ多くありました。

 しかし、とはいえ。実態的にもホームレスで越冬する人も減っているとはいえ、家を失ったまま長期に渡る人たちと社会側にいる我々が再びフラットにコミュニケーション持ちはじめるきっかけ足りえる生活保護制度という大事なツール。その前に横たわる大きな二つの壁。まずは特に政治家などが中心にネットやマスメディアを通じてプロパガンダをする生活保護バッシング(濫救だ、生保が国家財政を圧迫している等のプロパガンダ)、そしてもうひとつの壁である生活保護の「保護捕捉性の原理」に基づく扶養照会(家族・親族を探して連絡し、扶養の可能性を求める法に基づく実務)が、脱路上の足かせになっているということ。このことにもっと敏感な感性を持ったほうが良いと強く思いました。それは失われている人間の基本的な尊厳性をまた新たに、二次的にいっそう傷つけることになるのだと考えざるを得ません。

 路上に出てしまう人は先生の話を聴く中でも思ったのですが、たしかに客観的にも、社会的に良くないことをしてしまったね、という事実のもとにそうなったかもしれないし、逆にそんなことでそこまで自分を追い詰めることになってしまうのだろうか、という例もあるかもしれない。それは乱暴にいえば、我々は自分の主観のある種の囚われびとだからなのかもしれない。だからわたしたちは「これで問題ないはずだ」という役割による相互承認がある中で確認をできているおかげでいわゆる自分の生活を成り立たしめているのかもしれない。そしてそれらの集積が過去を参照しながら未来へ向き合う社会の現在という現実を構成してるのかもしれない。これは私のあくまで個人的な仮説ですが。

 だから、主観というものに捉われるのが人間の現実のサガだし、捉われの記憶の大きさがときによってある種の人を社会の周縁へと自ら導かせてしまうのだ、という風にも認識していく。そういう可能性というものとして視る、というのも思考の可能性としてあっていいのではないかと思います。その要因に至るまで、我々は実は多くのみずからの安全を支える関係の網目に生きてこれた。しかしその網目は過去からのさまざまな経緯のありようで持ち得ないこともあり得るのだと認識すること。ですから、現象だけを見て、今後関係の網目を再構築するため努力をする人たちに、再び関係を切る言説を浴びせる権利を持つ者はどこにもいないと思うのです。たまたま能力に違いはあれど、所詮は同じ人間という生きものなのですから。

 事実の問題として、寒風にさらされて生きる文字通りのホームレスの人は減って来ているのかもしれません。でも、いま生じてきている新しい課題は、実は家があっても家の中に何らかの脆弱さや、ときにクライシスに近い状態で緊急相談が生じつつことがあると。これは「見える化」のものだったホームレスというものが、今度は逆に不可視化されつつあるものとして再浮上しているのかもしれない。山内先生がおっしゃるようにハウスがあっても内実はホームレスと呼んでいいんじゃないかという提議は重要ではないかと思い、今回のインタビューのメインタイトルに持ってくることにいたしました。