2020年8月24日月曜日

児童精神科医、田中康雄さんのインタビュー、前後編で掲載しました。

  今年最初のインタビューは昨年北海道で行われた全国ひきこもり家族会連合会の大会で講演された田中康雄さんです。こちらです→

 本年3月29日に行ったものですが、自分自身が少しスランプというか、親のことも含めてコロナウイルス感染に囚われていて(けっこうな人がそこに陥ったのではないかと思います)作業が進まず、この8月まで編集が遅れに遅れてしまいました。事情を快く受けいれてくれ、原稿の校正を手早く手がけてくれた田中先生には感謝に堪えません。


 内容は聞いた当時は正直言って感情や理性(?)の幅が狭まった状態のなかに自分もいたと思うので、ちゃんと内容を感受できていなかったのですが、落ち着いてちゃんと聞き返し、内容を読み返すと自分でもこれはたいへんに深い素晴らしい話が聞けたといま、思っています。

 基本的には、ひきこもりや不登校について聞く話ですが、国や社会のリーダーシップ論まで幅を広げてしまいました。(そういう時期でもありました)

 いずれにしても人と人との「関係性」に着目すると、どれもたいへん納得される、整理に役に立つ話ばかりでした。家族の子に対する役割の関係、親の子に対する役割意識の変容、それが総体として社会や国の意識の変化のなかでさまざまに起きている子どもなどを中心にした安心感の変化に伴う課題。それは広げると一国のリーダーのもとでどう人が社会を受け止めているのかにまでつながることだと思いました。

 一概には言えませんが、児童精神科医としての田中さんのお話を伺うと、お子さん本人の本質的問題というよりも、親も含めた社会意識の変容のなかで子どもたちも、そして親も戸惑いがある。それは個々の人たちが自由な個人になり、同時に水平な関係を求めるなかで、バランスをどのようにとったらいいのか、という割と答えとしては簡単ながら、実は実践が難しいことにあることに起因すると思いました。

 僕らの親の時代を彩る昭和の時代のように、役割をこなしていればよし、とされる時代ではないので。そういう、ミクロからマクロまで、現代的な課題のなかの戸惑い、という視点で考えてみる。そんな良い機会となりました。

田中先生、ありがとうございました。

2020年7月11日土曜日

山尾貴則さん(作新学院大学人文学部教授)のインタビューをお届けします。

お待たせいたしました。
インタビューの久しぶりの更新です。
こちら→

今回は隠れた現代若者の困りなどを分析した本、『ポストモラトリアム時代の若者たち』の共著者、山尾貴則さんのインタビューです。昨年11月に札幌に来られた際の帰宅前の取材と、半年強が過ぎてはしまいましたが。

『ポストモラトリアム時代の若者たち』は専門が臨床心理、社会学、社会思想の三名の方の共著で、そのうち、社会学専門の角度で章を書かれていたのが山尾さんです。ただ、実際は山尾さん自身、広い意味で「自我論」に関心を持たれていて、G.H.ミードという人の自我論を掘り下げられ、社会学からも自我の研究ができると考えられたとのことで、その意味では心理学とも接点が近い研究をされていると思いますし、インタビューの中で話されていた通り、同じ学部では「公認心理士」を目指される学生もいるようです。

お話は大きく二つに。ひとつは今の学生さんたちの役割に加わってきているボランティア。中には単位にボランティア活動も含まれることもあるようです。
もう一つは、今の時代、学生が何かと多忙がデフォルトの時、それに乗り切れず、社会のレールからズレてしまった若者たちのための「若者ミーティング」の現状について。

実際、『ポストモラトリアム』は共著者として私のインタビュー本、『ひきこもる心のケア』の監修を臨床心理学の立場から村澤和多里札幌学院大学教授が手掛けてくれたように、現代の若者が置かれている社会構造の反映として「ひきこもり」があるという流れも一つの大きな要素なので、若者がひきこもることも自然な流れの中で記述されるこの本には、村澤さんと山尾さんのかなり相通ずる社会心理的視点があり、もともと村澤さんが始めた若者の自助グループ、「若者ミーティング」を山尾さんが引き継ぎ、現在も栃木でミーティングの場を実践中ということです。

ご帰宅前の多忙な時間のお話でしたから、あまり深入りした話は出来ませんでしたが、逆にその分、整理された話を聞くことができました。

じっさい、僕は最初ボランティアなどに学生さんが深入りなどすると、就職のためのレールから外れ、不利なことではないかと思っていましたから、逆に大学生さんにボランティアが強く推奨されている時代になっているということは全く初耳で、たいへん興味深いことでした。読み手のみなさんも、そうではないでしょうか。あまり一般には知られていないことではないでしょうか。

その後、ネットの動画配信などを通じて知った、本間龍さんの『ブラックボランティア』(角川新書)などで、東京オリンピックでのボランティア11万人計画などがあった(ある?)ことなどを随分後で知ったことです。イベントプランナーというか、広告大手、電通なども噛んでいるようですが、JOC(組織委員会)と大学が連携協定を結んでいるのです(何と、810校!)。

こういう「大学生頼み」の東京オリンピックなんて、端的に嫌じゃないですか?将来の就職も兼ねて一生懸命になっている学生ボランティアさん頼みなんて。まだこの本間さんの本は読んでいませんが、読んでみたいと思います。

この際に大学生とボランティアの関係についての話を山尾先生から聞けたのは幸いでした。
お話はオリンピックとボランティアとは関係しない、教育や福祉的な学生さんのボランティアの話でしたが、ボランティアを相当な労働力として期待するのは大人はもっと深刻に考えたほうがいいと思いますね。

そして、このコロナ禍、また若者の新しい苦労が始まるのは……本当に勘弁して欲しいですよね。大人は考えてください(自分もそうなのであった💦)

『ポストモラトリアム時代の若者たち。まさに隠れた名著で、素晴らしい感想のブログなども多いのですが、残念ながら現在は廃刊になっています。電子書籍ででも復刊して欲しいですし、もっと言えば時代に合わせ新装版を出してほしいところです。


2020年4月4日土曜日

北川眞也さん(三重大学准教授)のインタビュー後編をお届けします。

 三重大学の北川さんのインタビュー後編部分、ほぼ3か月を超えてしまいましたが、本日お送りします。遅れて大変申し訳ありません。こちらです→
 その代わりこの後半部分は大変に深く、ディープな内容で、学術的にも価値のある内容になっていると思います。後半はイタリアの「反労働」の運動の研究とともに、北川さんのもう一つの柱である移民、難民を通して見る社会や国家の変容の道筋を辿る研究や活動の領域です。
 後半の半分は中心はEU圏の難民問題を中心に話を伺いました。話を伺ったいまから丁度一年ほど前はイタリアの政権の中に右翼政党「同盟」が入っていたため、シリア内戦などからあふれ出したシリアからの難民、アフリカから地中海を通って渡ってくる難民への仕打ちやEUの対応が象徴的にあふれてた頃の話。
 そしてまた別な話題として、日本などを中心として分断化された不安定労働者や、労働から逸脱した人々がその問題を自己内面化することによって、問題を政治化することができないでいる状況について。話題にかかわって、象徴的にフランスの精神科医でアルジェリア戦争にもかかわったフランツ・ファノンの話。そして北川さんがフィールド・ワークをしていたイタリアから最も南に位置する島、ランベトゥーザ島における極右、国家主義的になっていく議員と、想像力を駆使してエンパシー的に難民と向き合うミュージシャンの話を両者対比的に教えてくれたりしました。

 問題は大変に深く、人として生まれ、人らしく生きていきたい、でもそこに障害となる生まれながらの環境や境遇がある。それらを自責に持っていくのではなく、社会化、政治化していくのが大事であると。乱暴に言えばそういう感じでしょうか。
 その「乱暴」な見立てを深く、繊細に語っていただきました。

・・・しかしいまの状況は誰にも想定がつかないものでした。ご存知のいまの新型コロナウイルスによるイタリアの惨状です。また同時に、それはもはやイタリアという外部に起きていることではなく、日本がこのイタリアの惨状から学ぶべきことが急務になりつつあるはずですが、現在進行形で起きている日本の為政者の差配は実際欧米から起きていることからどれだけのことを学んでいるのか…。暗澹たる思い。

 予断を許さず、固唾をのむのがいまの私たちの状況ゆえ、どうしてもコロナウイルスの現在について意識が向くかもしれません。
 ですが、いまの労働者ではなく、国家が行った「ロックダウン」。ぼくはもちろん医療崩壊が起きている、或いは起きそうである意味において人々の危機が極力起きない意味で賛成していますが。
 各国各自の個性による差配の結果においてはこのインタビューで語られる内容を参考にしなければならない局面がやってくるかもしれません。
 
 良く生きたい、いまのコロナ禍はなかなかどこにも逃げようのない、むしろ本当にひきこもってゆっくりする術を学ぶ先が見えない状況を学ぶ時期ですが、良く生きていきたい「その後の世界」が矛盾に満ちており、人間の毒が顕現してしまった時には、北川さんが語る世界から学ぶことが多くなるかもしれません。
 …学んでいきましょう。