2017年8月17日木曜日

発達心理学の浜田寿美男さんのインタビュー掲載しました。

発達心理学の碩学であり、犯罪心理学鑑定の権威としてもその業績が著しい浜田寿美男さんのインタビューを掲載しました。→こちらから。
浜田先生の現在のお仕事は主に発達心理学に基づく教育学的な立場からの啓蒙的な活動と、自白証言などの供述鑑定のお仕事が主なのではないかと推察しますが、このたびはあえて発達に関する理論的な部分でお話を伺いたいと思いました。お互いの話の上で参考にした本は90年代末に出版された、インタビューの中でも話に出てきた『私とは何か』という書籍です。

インタビューアーの未熟さのせいもあり、話は幾つかに広がっていきました。
ひとつはわれわれが「普通」「当たり前」と考えるこの外の世界、いわば「現実と呼ばれる世界」とでもいいましょうか。それが「当たり前」のことであると同時に、なぜ疑問を持たずに「当たり前にある」と思えるのか?という哲学的な問いです。これは多数派の人間が当たり前に思うことが困難な自閉症のかたがたとの対比で語られます。

もうひとつは老いについて。人間が形成されると同時に、その終わりの過程を我が家をケースとして話し合いました。といいますか、いろいろと情緒的に癒やしてくれるお話をしてくれました。

かつ、もうひとつは「ワロン的」な意味で大きなキモであるところの、人間という存在は「個別性」と「共同性」という両義的なものを持つ存在であることの話。人はひとりひとりの固有な存在であると同時に、その身体はどうしようもなく他者との間で表現されてしまうということ。その両義。かつまた、発達を考える上で今後の発達心理の重要なポイントになると思われる、人は生まれた当初は他の人々の能動の嵐を受動的に受け止めるということ。その受動性こそが自分という主体が立ち上がる大きなきっかけとなるのではないかという仮説。そこには、情緒、情動(そしてそれはのちのち他者への想像力というところまで発展するのではないか?)の発現への契機があるのではないかと。

自分でこう感想を書いていておそらくわかりにくく思われるであろうことは、きっと私自身がまだキチンと理解解釈ができてないゆえで、でも「能力や機能の獲得が発達である」という単線の発達観では今後はすまない、それには浜田先生や昨年インタビューをさせていただいた川田学先生などが研究されているワロンという発達心理学者の考えた視点が重要なのではないかと、素人の私も思うわけです。どうか、昨年11月に掲載した北大教育学研究院の川田学先生のインタビューと併せて読んでくださるとうれしく思います。
(参考:インタビュー/川田学さん-北海道大学大学院教育学研究院-個になりながら-内側に他者を育む/)
勘が良く、整理する才能のあるかたがたにはこのお二人のインタビューから多くのヒントは得られるのではないかと多少自負しています。

浜田先生へのインタビューのほぼ一週間後の4月26日に父親が永眠しました。東京に発つ前に二度ほどお見舞いに行ったときも「いつ行くのか」「帰りはどこの飛行場で発つのか」と父は繰り返して聞いていました。良い意味でうがってみれば、どこかで無事に私が本州に発てるよう、無意識のうちに頑張ってくれたのかもしれません。浜田先生との話の中で出た母は、父の初盆で帰ってきた兄がいるため、絶賛見当識低下中です。浜田先生などにお話を伺ったおかげで、見通しが立たずにパニクるようなことはありません。このような活動がいろいろな意味で自分を救ってくれているということを感じずにはおられません。
浜田先生、本当にありがとうございました。知的にも情緒的にも多くのものを与えてくれたインタビューでした。




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